2023年を振り返って、今後直していきたいなと思ったことの一つが、
タイトルの “べき” を止めて、その言葉に引っ張られないこと。
中でも僕個人が行ってしまいがちな “べき” は下記の3つかな。
・たとえば、人はこうある “べき” というもの。
これ日本人にめっちゃ多い考え方で、周りに期待しすぎだと思う。
仕事なんかだと これくらいみんな簡単に処理できてるでしょとか、
公共の場で自分は守ってるから 全員マナー守れるでしょ的なやつな。
僕も海外で陥ってしまいがちなんだけど、しょせん他人は他人なんだし、
選んで勝手に自分が行動してるだけで 他に強要するものじゃないよね。
他責思考になるし、周りとの関係が悪化するから いつも気を付けてる。
・たとえば、目標を達成するためには こうする “べき” というもの。
なにかを成し遂げるのに、目標は非常に大事で有効的な手段だと思ってる。
ただ、達成するために手法や期限なんかを ガチガチに固めたくないんよね。
目標を決めてる時点で、ある程度 大枠のルートも固まってるんだし、
そこから逸脱しなければ 良いじゃんと僕は考えてる。
仕事もプライベートも自由な裁量を以って、ノビノビやれば良いんだよ。
通過地点の縛りに引っ張られてたら、途中で疲れて自滅してしまうぜよ。
このブログの目標である1億円も、ゆる~くやってくわ。
・たとえば、自分の行いに対して こうなる “べき” というもの。
「相手にこれだけ尽くしたんだから、大きなリターンがある」ってやつな。
たしかに、情けは人の為ならずなんて言うし 見返りがあることも事実。
ただ、ここに過度な期待をすると リターンのギャップで感情が揺らぐ。
僕もたまに、リターンを事前に考えてしまうことがあるんだけど、
そんな時ほどギャップに苦しむから、意識しないようにしてるわ。
努力や自己投資なんかも、時間と費用に対してリターンギャップあるしな。
2024年は No more “べき” を心がけていくぜい!
そういえば昔、戸次と書いてベッキと読む名字の人に会ったことがある。
すんげー名字だよなぁ。