やってやんよ!

Don't let up, things get better, everything will be alright =)

“べき”は要らない

2023年を振り返って、今後直していきたいなと思ったことの一つが、

タイトルの “べき” を止めて、その言葉に引っ張られないこと。

中でも僕個人が行ってしまいがちな “べき” は下記の3つかな。

 

・たとえば、人はこうある “べき” というもの。

これ日本人にめっちゃ多い考え方で、周りに期待しすぎだと思う。

仕事なんかだと これくらいみんな簡単に処理できてるでしょとか、

公共の場で自分は守ってるから 全員マナー守れるでしょ的なやつな。

僕も海外で陥ってしまいがちなんだけど、しょせん他人は他人なんだし、

選んで勝手に自分が行動してるだけで 他に強要するものじゃないよね。

他責思考になるし、周りとの関係が悪化するから いつも気を付けてる。

raven-szk.hatenadiary.jp

 

・たとえば、目標を達成するためには こうする “べき” というもの。

なにかを成し遂げるのに、目標は非常に大事で有効的な手段だと思ってる。

ただ、達成するために手法や期限なんかを ガチガチに固めたくないんよね。

目標を決めてる時点で、ある程度 大枠のルートも固まってるんだし、

そこから逸脱しなければ 良いじゃんと僕は考えてる。

仕事もプライベートも自由な裁量を以って、ノビノビやれば良いんだよ。

通過地点の縛りに引っ張られてたら、途中で疲れて自滅してしまうぜよ。

このブログの目標である1億円も、ゆる~くやってくわ。

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・たとえば、自分の行いに対して こうなる “べき” というもの。

「相手にこれだけ尽くしたんだから、大きなリターンがある」ってやつな。

たしかに、情けは人の為ならずなんて言うし 見返りがあることも事実。

ただ、ここに過度な期待をすると リターンのギャップで感情が揺らぐ。

僕もたまに、リターンを事前に考えてしまうことがあるんだけど、

そんな時ほどギャップに苦しむから、意識しないようにしてるわ。

努力や自己投資なんかも、時間と費用に対してリターンギャップあるしな。

 

2024年は No more “べき” を心がけていくぜい!

そういえば昔、戸次と書いてベッキと読む名字の人に会ったことがある。

すんげー名字だよなぁ。